江戸時代に流行した病~江戸患い~
普段、文章の魅力を語っているサイトだが、今回は気分を変えて、カレーライスとおにぎりのちょっとお腹が空くおはなし。キーワードは、由来。
「腹が減っては戦はできぬ」
そのことば通り、腹持ちがいいものを取らないと、なんだがぼぅ~としてしまう。今から900年ほど前から活用されていたのが、おにぎり。大量に作れてしかも手早く食べれる、まさにスピード飯ともいえるおにぎりは、当時の武士のみならず町民・貴族も魅了していた。
豊臣秀吉の中国大返しも、おにぎりが一役買ったって聞くね
ところが、江戸時代に入ると、摩訶不思議な出来事が発生。江戸に来ると、体調がすぐれない。江戸に来ると病気になる現象。不思議なもので、里帰りを果たすと、みるみる元気になる。その原因が、実はおにぎりにあった。
正確にいえば、おにぎりに使われていたお米。当時のお米は、玄米や古代米(赤米、黒米)が主流だったが、江戸時代に入ると、技術革新の流れが。それが、精米技術。いわば、我々が口にしている白米が誕生したのだ。だが、それとは別の問題が起こる。精米によってタンパク質やビタミンB1が削がれため、偏った食事になっていった。それが江戸患いの正体だった。今では、脚気(かっけ)が原因として解明されているが、解決には明治時代まで待たねばならなかった。
改善策として生まれたカレーライス
明治16年、海軍・陸軍内では脚気による患者数は1,632人・死亡数は49人と緊急事態に。その解決にあたったのが、海軍軍医だった高木兼寛(のちの海軍軍医総監)。明治17年に「兵食改革」と称して、ある実験を行った。当時食べられていたカレー風味のシチューに小麦粉を炒め混ぜ、ごはんに盛り付けたものを献立に加えた。すると、明治18年には、患者数が41人・死亡数0人と目に見える成果を上げることに成功。この出来事がきっかけで、カレーライスの原型が誕生。のちに兵隊が故郷に戻ると、次々に艦内で食べたカレーライスが伝わり、日本全国津々浦々にまで広がることとなったのだ。
おわりに
由来を知ると、単に事例をおぼえるよりも、記憶に残りやすい。だからこそ、うんちくや豆知識として相手に語りたい。ものがたりは強力なのだ。
玄米・古代米が主食の時代に精米技術が誕生。でも白米が脚気を招く。対策として生まれたカレーライス。そして今、完全栄養食として再注目されている玄米。
一度捨てたものが、めぐりめぐって、手元にもどってきたようにも思える。どこか皮肉めいた運命に感じないだろうか。
素朴な疑問なんだけども、栄養面だけなら、なぜ玄米に戻らなかったの?
考えられる理由は2つ。
1つは、食糧事情。以外というと失礼かもしれないが、白いご飯が庶民の食卓に並んだのは、1960年ごろから。それまでは、米に麦やひえ・あわなどを混ぜて食していた。白米を食べるのは、いわば高級品だったんだ。
※1つ目の理由に精米技術としてきましたが、調べ直してみると、当時の食糧事情の影響が大きくかかわっていたのではないか。と考え改め、書き直させていただきました。
2つめは、明治時代というのがポイント。明治初頭、1200年ほど続いた肉食禁止令の撤廃・牛乳の推進・なによりカレーライス(ライスカレー?)が家庭に広がったのも、大きい。牛肉・小麦粉や牛乳と合わせるのに、白米が一番しっくりきたからではないか。
どうだ(自慢気)!
最後で台無し
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参考サイト
https://kaigun-curry.net/about
https://discoverlife.info/n/n3ee8c19037ca
参考論文
「一汁三菜」考 杉浦太一 聖霊女子短期大学 2018
農村の「食」の変容からみた近代史-農村調査資料に聴く- 野本京子
日本オーラル・ヒストリー研究 2019