白いご飯の憧れ~庶民には高嶺の花だった白米~

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お茶碗によそわれた白く光り輝く魅惑の存在。それが白米。

今でこそ、当たり前の光景だが、一般家庭の食卓に並ぶには1955年を過ぎなくてはならなかった。

白米、庶民にとって長い間、ごちそうだった。

ネコジャラシ四郎
ネコジャラシ四郎

白米!でもコピーライティングと何の関係?

理由は後ほど。

お米を食べ始めた弥生時代

土器の使用から調理の幅が広がった縄文時代。そこから発展して、米作りが広がったのが弥生時代。大きな転機は、かまどの誕生である。それまで、かめを使って煮ていた調理を、こしきを使い炊く調理に変えたのだ。

ネコジャラシ四郎
ネコジャラシ四郎

調理の大革命だ!

ごはんとおかずの組み合わせが誕生したのも弥生時代。しかし、白米への道は遠く険しい。

一汁一菜の始まり鎌倉時代

ごはんにおかずに梅干し、そして汁物の組み合わせ、一汁一菜。当時の記録によれば、武士たちは玄米を1日5合(1食2.5合!)ほど食べていたとか。体力仕事だったゆえの反動なのでしょう。はらが減っては戦はできぬ。

ネコジャラシ四郎
ネコジャラシ四郎

いざ、鎌倉へ!

それでも庶民にとって、白米はもちろん大豆も高級品でした。みそのかわりにぬかを代用したりと苦労は絶えなかった。

白米が広がる江戸時代

脱穀技術が発展して、白米を口にできたのが、江戸時代。

調理面でも変化があった。それまでのかまどに追加されたのが、羽釜とまき。重い木のふたで密封された釜と高温で燃え上がるまきのセットで、お米を炊く技術が格段に上がった。

江戸に暮らす庶民もまた白米にありつけた。また、精米時に生まれるぬかを使った画期的な発明がある。ぬか漬けの誕生だ。とくにたくあんがよく食べられた。

飼い主
飼い主

大根が選ばれたのも、当時野菜というと、大根・ねぎの2種類だったから

地方では夢のまた夢

江戸時代といっても、白米にありつけたのは都市部の江戸だけだった。地方ではかてめしが多く、白いご飯とは縁遠いものだった。

かてめしとは、玄米に麦やヒエやアワなどの雑穀、大根・里芋などの野菜を混ぜたもの。

ちなみに、江戸にはあって地方にはないものがもうひとつあった。むしろ地方にとってはいいはなし(?)である・・・。

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米不足と食糧難の戦時中

日中戦争以後、食料統制による配給制度と徴兵によるお米の生産者不足が、より満足にごはんを食べることを難しくした。

米が手に入らない・・・

庶民たちは頭を使い、日々の暮らしを凌いだ。米と野菜をまぜたり、米の代わりに小麦やイモを使う節米料理が編み出された。

かてめし、すいとん、おじや、焼きおじやなどで空腹をしのいだ。夜明けを待ち望んで、耐え続けた。

飼い主
飼い主

終戦後(1946年頃)も、配給制度が続いてた。けれども、中身は粗悪だった

(上略)虫のわいた放出メリケン粉、水にさらさねば喰えぬ泥のまじったデンプン、まじりっけのないフスマ、鬼の牙のように煮ても焼いてもやわらかくならぬトウモロコシ、のぎのついたままの燕麦、沖縄一号と称する水っぽい甘薯、果てはリンゴ・ジャムの壜詰め、ぼろぼろに折れた乾麺の屑、これも虫食いの大豆、マメカスの固まり(下略)

決定版ルポライター事始 竹中労 ちくま文庫 p224 7-11

むすびに

長い間、庶民の口に白米を運ぶことは夢だった。それが当たり前なのは、戦後、稲作の改良・水田をはじめとした土木事業・なにより先人たちの苦労のうえに成り立っている。

さいごに、私が共鳴した日本人の姿勢に関する文章を、長い引用ですが、お付き合いください。

自然保護の高まりのなかで、よく「農業はそれ自体が破壊である」といった欧米直輸入の議論が語られることがあった。(中略)西欧では、例えばイングランドの山の森林を払って、そこを麦畑にするというのが、土地利用のパターンであった。これに対して日本では、山の緑を払ってそこを穀倉地帯にしたのではなかった。日本人が穀倉地帯にしたのは大河川の氾濫原であり、そこを海だか陸だか川だかわからないような葦野が原であり。その土地を洪水から守るために山へ行って木を植え、水を作るためにもまた、山へ行って木を植えた。慶びの時にも木を植えたし、悲しみの時のも木を植えた。もとより信仰のためには最も早い時期から、木を植えた。

高度に発達した文明国のなかで日本は木を植えることで文化を育ててきた唯一の国だったのである。

日本の米 富山和子 中央公論新社 p183 6-15
ネコジャラシ四郎
ネコジャラシ四郎

こうして白米を食べられるのは幸せなんだと感じるね

追記

ネコジャラシ四郎
ネコジャラシ四郎

・・・それで、白米とコピーライティングの関係性はなに?

お話ししよう。

一見すると、今回のおはなしはコピーライティングとは縁遠い。しかし、文章を通して伝えるということは、いわばこころの動きを伝えるということでもある。今回の場合で言うと、白いご飯を待ち望んでいたけれども中々たどり着けなかった庶民の葛藤があてはまる。読み進めてみて、どこかじれったい気持ちになったかもしれない。それこそ、あなた自身、当時の庶民が抱いていた葛藤(の一部)を体感したといってもいい。

だからこそ、感情を映すコピーライティングを学んでいくことは、すなわち人間のこころの動きを知ることでもある。あなたが書くべき文章は、よむ人が感情を揺さぶられ、納得してもらうことである。どう書くかよりも、なにを書くか。よんでほしい相手に宛てて、どんな文章・文脈・言葉使いがふさわしいのか。徹底的に調査して、分析して、そして考えてほしい。

学ぶことは多いかもしれない。でも、学んだその先にある景色は決して色あせないものであると信じているし、あなたにも同じ景色をぜひ味わってもらいたい。

その時にはじめて、守りたいひとや文化・故郷など、あなたが今まで叶わなかった願いを果たしてほしい。その手伝いができるのならば幸いです。

<参考文献>

  • 歴史ごはん 永山久夫 くもん出版
  • 日本の米 富山和子 中央公論新社
  • 決定版ルポライター事始 竹中労 ちくま文庫

ネコジャラシってなんだ?

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