確かな根拠があるわけではない。科学的な証明がなされたわけでもない。にもかかわらず、力を秘めているものに、忌み言葉があります。
普段、信心深さや宗教に疎いかたでも、否応なしに意識せざるおえない場面が存在します。
そうです。冠婚葬祭です。特におめでたい席と故人をしのぶ席では、言葉ひとつ間違うだけで、人として常識を疑われかねません。
例えば、タブーのひとつに重ね言葉があります。
かさねがさね、たびたび、わざわざ、さまざま・・・
言葉をだぶらすことです。葬式では不幸(死の連想)を引きづるもの・結婚式ではたったひとつの幸せを邪魔するもの(再婚を連想するから!)、として受け止められます。
そのためか。忌み言葉(+重ね言葉)と検索しただけで、気にする方の多さが見て取れます。中には、言い換えのリストをのせているところもあるくらいです。
しきたりってメンドウだよね・・・
主(あるじ)さん、それは大人としてどうなのですか
コピーライティング(文章)と忌み言葉は同じ仲間!?
そこからどういった道のりを辿れば、その忌み言葉とコピーライティングがどう結びつくのか?首をかしげているはず。
忌み言葉は儀式を行う際に気をつける心構え。片やコピーライティングは、文章の力で読者を誘導してお金をいただくビジネス行為。ふたつの世界観が交わることなんてありえない。そう思うのも無理はありません。
一見ありえない考えも、視野を広くして観察してみましょう。
ふたつの共通点は、なんでしょうか。
間違いなく、言葉です。
そりゃ、そうだ
受け取り手がどう感じるか
ここで強調しておきたいのは、目的。
忌み言葉もコピーライティングもなぜ存在するのか。言い換えると、なにうえ利用価値があるのか。少し考えてみましょう。
いいですか?
ここで私の考えを申し上げると、
受け取り手からいかにストレスや不快感を取り除けるのか。また、受け取り手が思い描く世界観を結びまで守り抜くことができるかという一種の心理戦
心理・・・戦?
そうです。心理戦です。
例えば、結婚式。
会場には、新郎・新婦の声かけに集まった来賓方。あなたと新郎は中学生からの知り合い。不器用ながらも仲間思いの新郎の姿をあなたはずっと見てきています。一方で新婦のほうは初対面。ここで少し前からスピーチ役を頼まれていたあなた。大勢の来賓の方を前にどんなスピーチをすべきでしょうか。
新郎が中学生のとき、給食の時間に起こしたハプニング?それとも、不器用さから起こったあるバレンタインデーの出来事でしょうか?
それはそれで聞きたいね
まぁ、それは置いといて(笑)
受け取り手(ここでは来賓の方)が望んでいるのは、新郎新婦のふたりが末永く続く後押しをしてほしい。いわばハッピーエンディングです。仮に、幸せを打ち消す流れや言葉が挟み込むことになれば、不快感と憎悪が渦巻き、彼らが望む世界観を打ち壊わした代償を払うことになるでしょう。
つまり、受け取り手が不快感をおぼえないように言葉を調整する行為こそが、心理戦と主張するゆえんなのです。
これは、コピーライティングにおいても変わりません。受け取り手(読者・お客さん)が思い描く世界観をいかに守るか。また、不快感をおぼえる言葉・文章をいかに減らすか。
受け取り手の心理状況を考えて、適切な言葉や流れを作成する。忌み言葉における心構えもコピーライティングの取り組み方も根っこの部分はなにひとつ変わりません。
むすびに
忌み言葉とコピーライティングの共通点、それは、
- 受け取り手が思い描く世界観を想像
- 不快感をしめす言葉・文章を除去
- 望む世界観の完走
これらが揃って、はじめて受け取り手は拍手(コピーライティングだと購入)に至るわけです。
しきたりがあるところ、かならず意味があります。本質を見極めると、見えてくる姿があります。観察は怠らないように。
まったく、世の中は窮屈なもんだよ
こう簡単にこころが読めないものかな
そうだ!超能力が使えればいいんだ!
よぉっし、テレパシーの勉強だ!!!!!
努力の使い方を間違えている飼い主であった。
とほほです、主(あるじ)さん